●● 〜愛・地球博 パートナーシップ事業〜
<特別展> ”高雅なる美の祭典” 松園・清方・深水 三巨匠展 ●●
平成17年6月21日(火)〜8月14日(日)※一部展示替えあり
前期:6月21日(火)〜7月18日(月・祝)/後期:7月20日(水)〜8月14日(日)
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上松松園(うえむらしょうえん)、鏑木清方(かぶらききよかた)、伊東深水(いとうしんすい)は、美人画を語る上では欠かせない、三巨匠と評価される画家たちです。明治〜昭和にかけて京都、東京の日本画壇で活躍し、それぞれの個性をもって当時の風俗、歴史、文学などに登場する女性を描きました。 |
上村松園(1875〜1949)
京都に生まれる。幼い頃から画才を認められ、明治20年(1887)京都府画学校に入学、また鈴木松年の画聖に通う。21年後素如雲社展に初入選。26年幸野楳嶺に師事、28年楳嶺が没すると、その門下の竹内栖鳳に師事して、日本美術院協力展ほか、国内外の美術展・博覧会で受賞を重ね、実力ある閏秀画家として、名を知らせるようになる。
以後、文展、帝展ほか博覧会などに出品、受賞し、帝展委員を経て、昭和11年(1936)秋の文展招待展に、後に国の重要文化財として認定される「序之舞」を出品。19年帝室技芸員となる。清明で格調高い芸術を創造、戦後の昭和23年(1948)女性初の文化勲章を受章。 |

「 紅葉可里図 」上村松園
(もみじがりず)
大正3年頃制作
名都美術館蔵
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「 舞仕度 」上村松園
第8回文展出品作 2等賞受賞 大正3年制作 京都国立近代美術館蔵 (後期展示)
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「 初夏の化粧 」鏑木清方
大正5年頃制作
名都美術館蔵 (*後期展示) |
鏑木清方(1878〜1972)
東京神田に生まれる。多才な父の影響を受け、幼少期から文学や芝居に親しむ。明治24年(1891)風俗画家水野年方に師事、27年父の発刊する「やまと新聞」の挿絵を師年方から引継いだのをきっかけに、新聞、雑誌や小説の口絵・挿絵なども手がけ、挿絵画家として知られるようになる。
一方、30年代から日本絵画協会の絵画共進会に本画を出品。明治42年(1909)第3回文展で初入選以後毎回文展に出品し受賞。豊かな画才を大きく開花させ、郷愁を秘めた清々しい風俗画の名作を発表する。帝展にも出品を重ね、昭和4年(1929)には帝国美術院会員となる。戦後は昭和24年(1949)第5回日展への出品を最後として、その後は卓上芸術に磨きをかけ、画廊主催展が主な制作発表の場となる。29年文化勲章を受章、文化功労者となる。 |

「 初冬の花 」鏑木清方
第6回七絃会展出品
昭和10年制作
東京国立近代美術館蔵(※後期展示)
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伊東深水(1892〜1972)
東京深川に生まれる。東京印刷の活版工から図案部に移り、鏑木清方に入門。明治45年(1912)巽画会第12回展に初入選、大正3年再興第1回院展に入選したのをきっかけに画家としての道を歩み始める。4年清方主宰の郷土会が結成され、その定期展や文展、院展に相次いで入選するが、その後出品から離れ挿絵や口絵にも打ち込んだ。大正11年(1922)平和記念東京博覧会での受賞後、重なる帝展での受賞で、美人画家としての地位を確立する。
また、自ら青衿会などの画会を結成する一方、戦後は日展で審査員をつとめ、昭和23年(1948)第4回日本芸術院賞を受賞。以後日展を中心に出品を続けて、日本芸術院会員となる。浮世絵の伝統に立ちながら現代風俗に挑んで、芸術性の高い新しい画境を築き上げた。
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「 春の宵 」伊東深水
(雪月花三部作の内)
画道50年記念展出品
昭和37年制作
個人蔵(*後期展示) |
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「 鏡獅子 」伊東深水
(かがみじし)
第六回青衿会展出品
昭和21年制作
名都美術館蔵
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主催:名都美術館・朝日新聞社
後援:長久手町・愛知県教育委員会・名古屋市教育委員会・長久手町教育委員会
連携協力:財団法人2005年日本国際博覧会協会
入館料:一般1,000円、大学生700円、中高生500円、小学生以下無料 |
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